千代田区議会 2019-12-12 令和元年第4回定例会(第5日) 資料 開催日: 2019-12-12
一方で、首都高速都心環状線地下化工事の施工方法によっては、歴史的遺産の一つである震災復興橋梁「常盤橋」の撤去が危惧されています。
一方で、首都高速都心環状線地下化工事の施工方法によっては、歴史的遺産の一つである震災復興橋梁「常盤橋」の撤去が危惧されています。
一方で、首都高速都心環状線地下化工事の施工方法によっては、歴史的遺産の一つである震災復興橋梁「常盤橋」の撤去が危惧されています。
5: ◯谷田部道路公園課長 今、木村委員のほうからご指摘ありましたとおり、これは震災復興橋梁でございます。あくまでもこれは補修・補強工事でございますので、形自体は、これは変えないで、地震のときに落橋等をしないような形の新耐震の補強を行うと。
昭和4年に震災復興橋梁として油堀川にかけられた油橋の欄干の端にある柱でございますけれども、昭和50年の川の埋め立てに伴いまして、柱部分のみ残ったというものでございます。
そして、特に興味深いことは、勝鬨橋と同じく、隅田川にかかる震災復興橋梁の清洲橋と永代橋が、平成19年に国の重要文化財に指定されたことです。 現存の清洲橋と永代橋は男性的なアーチ橋で、遠出をして戻ってきたときにほっとする、愛着のあるシンボル性が高いすばらしい橋梁です。
さらに区内は関東大震災で大変な被害があったわけなのですけれども、昭和初期に震災復興橋梁として架設された橋が多く残ってございます。これらの橋のうち歴史的、また技術的に貴重な橋梁を対象に、道路課においては保存橋梁として15橋ほど選定してございます。その中の亀久橋、萬年橋、東富橋、福寿橋の4橋につきましては、都市景観重要建造物として指定されてございます。
1の(1)は有形文化財(歴史資料)で、震災復興橋梁図面901枚、東陽四丁目、江東区でございます。関東大震災直後の大正12年から昭和5年にかけて、帝都復興事業の一環として架設された橋梁の図面でございます。 東京市では8年間に425橋が架設されており、江東区域では208橋が架設され、その中の132橋分の図面が残されてございます。
復興事業によって、建設された建物が空襲 等でなくなってしまった今でも、千代田区を流れる日本橋川、神田川では、復 興事業によって架橋された震災復興橋梁を数多く見ることができます。千代田 区にはいまだに後藤新平の復興事業の痕跡が数多く残されているのです。 旧庁舎跡の景観の保存は、後藤新平の復興事業にも匹敵する大事業となるで しょう。